2024年 10月 28日
「森口信一 展 我谷盆バカ」11/2(土)より
11月2日(土)から始まる「森口信一 展 我谷盆バカ」の出品物です。
我谷盆 W37 / D25/ H3.5cm
森口信一 展 我谷盆バカ
2024年11月2日(土)~9日(土)
作家在廊日 11月2日
11時~18時 最終日は17時迄
ギャラリーうつわノート
埼玉県川越市小仙波町1-7-6
略歴
1952年 北海道生まれ
1977年 京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業
1987年 黒田乾吉氏より拭漆の講習を受ける
2000年 我谷盆の研究・制作を始める
2016年 石川県風谷町に「風谷アトリエ」開設
2024年 京都西山アトリエと石川県風谷アトリエで制作
解説
「我谷盆バカ」を自称する森口信一さん。1952年生まれ御年72歳を迎えます。
我谷盆との出会いは京都の黒田乾吉木工塾(人間国宝・黒田辰秋氏の息子さん)で漆や木工を学んでいる際に、乾吉さんの奥様から森口さんの作品は我谷盆に似ていると言われたことがきっかけになりました。昭和中頃に全国各地で民藝再発見機運の高まった頃に黒田辰秋さんが我谷盆の美に注目し復興を奨励しました。その状況下で我谷盆の良さを実践的に再生し唱えてきたのが森口信一さんです。今は多くの木工家が我谷盆を手掛けていますが、本歌に倣って栗木の割板を生木のまま彫る我谷盆に特化した作家は森口信一さん唯一なのです。
さて我谷盆の良さはどこにあるのかと聞かれれば、その飾らぬ素朴な佇まいであり、丸鑿の痕を意匠としても実用としても残した粗野な造りにあるでしょう。実は森口さんは2014年に脳梗塞を患い右手の握力をほとんど失いました。木工家にとって利き腕の力を失うことは致命的に思えますが、むしろその手を庇いながら彫る我谷盆は益々良くなったとおっしゃいます。それは作り込み過ぎない、道具として分をわきまえた我谷盆の本来の内面性を捉えるために「足るを知る」ことだったのかもしれません。病いで倒れる前日の夜は、奇しくもスーパームーンが空に輝き、その月に向かって「自分を成長させて欲しい」と願ったそうです。この運命的な出来事を「負」とせず、自らの「力」として前向きに仕事をされていることに、ただただ頭が下がります。
我谷盆を多くの人に継承したい。自らの技術も全て開示し、各地のワークショップや石川県山中の「風谷アトリエ」には毎月通って塾生に教え、体験教室も開いています。展示会の立ち会いでもお客様にとにかく我谷盆のことをよく説明されます。この情熱こそ、森口信一さんを支える力であり、我谷盆を作り、そして伝えることが「天命」としているのです。情報が溢れ様々な選択肢が広がる今の時代に、バカに徹すること、バカを続けることはむしろ難しい。力強く、飾らず、そして自制的でもある我谷盆の姿は、森口信一さんの自刻像なのだと思います。店主
我谷盆(わがたぼん)とは
石川県山中温泉の上流にあった我谷村で江戸初期以来、生活道具として作られた木地盆である「我谷盆」は、乾燥すると堅くなる栗板を生木のうちに丸ノミで彫ることで特徴的な刻み痕を残しています。屋根板に使った栗の木の端材で作られたのが始まりといわれます。昭和中頃にダム建設で村は水没し一旦途絶えますが、その質実剛健な美しさを木工藝家の黒田辰秋氏が見出し、復興を奨励したことで我谷盆は蘇りました。基本に忠実に取り組む森口信一さんは我谷盆の第一人者として知られ多くの方に支持されています。
by sora_hikari | 2024-10-28 17:56 | 森口信一展2024