2024年 05月 18日
「太田修嗣展 確かなるもの」ありがとうございました








「太田修嗣展 確かなるもの」は本日終了しました。会期中ご来店下さいました方、ネットを通じてお選び下さいました方、皆様に心より御礼申し上げます。尚オンラインストアは明日5月19日(日曜)23時までご利用頂けますのでお見逃しの方はどうぞご覧ください。
多くの場合、確信的な未来が最初からある訳ではなく、その都度の選択による積み重ねが今の自分を形成するものでしょう。しかしその岐路に於いて何に重きを置いたかがで人生の方向性が変わるものです。
太田さんと漆器との出会いは、最初は勘違いから始まりました。大学では化学を専攻、塗料メーカーに勤務します。会社勤めをしながら通信講座で学んだ映画のシナリオの世界があきらめきれずに上京し、劇団の仕事を始めます。その傍ら、知人から紹介された鎌倉彫の仕事を、最初は「鎌倉」の印象から仏像彫刻だと思い込んで訪ねた先が、実は漆器の工房だったのです。
そのとき32歳。そこから修業がスタートし、どんどん塗りものの世界に魅せられていきました。その後、漆芸家・村井養作氏に師事し、蒔絵や変り塗りを学びます。周りの職人に比べて後発の太田さんは、人の倍以上働くことで経験をカバーしました。その頃に仕事を選ばず何でも進んでやった下積みの経験が、今の技術の礎になっています。
太田さんの現在のお住まい兼、工房は、愛媛県の砥部町にあります。砥部焼で有名な地域ですが、太田さんが暮らすのは、旧・広田村という焼き物産地からは離れた森林に囲まれた静かな場所です。1987年に東京・厚木市で独立後7年を経て、この地に移住したのが1994年。この周辺は林業は盛んなものの、特に漆器の産地ではありません。関東で経験した仕事をもとに、ひとりで今のスタイルを築いていきました。
引っ越した頃は、日本のバブル経済もはじけ、工芸も消費が一気に落ち込む時期だったそうです。そのような転換期に、拠り所のない土地で仕事をするには、それなりの信念がなければ続けられなかったのではないかと思います。独立当初は3年の猶予を奥様からもらってひたすら仕事に励んだそうです。
育て上げたお子様はお嬢様が4人。今回も関東に暮らすお嬢様がお孫さんを連れて川越まで来てくださいました。特に言葉にするのでもなく、しかし家族を支えてくれた父親への信頼を感じました。特に叙勲されるでもなく、歴史教科書に名を刻むでもなく、しかし家族の肖像とはこのリアリティでしかないと思います。人は徐々に死に近づき、徐々に忘れ去られていく。それが死生観でもあり、現世における記憶の中において意味を成すのです。
今年75歳。最近は描いた図面の寸法に縛られずに、自分の許容範囲が広がって気持ちが楽になったとおっしゃいます。自然を素材を扱う仕事ゆえに、寸法の整数はあくまで目安でしかなく、その間に円周率のように永遠に割り切れないポイントがあり、しかしそれは確かに実在するもので、その都度素材との対話の中で答えを見つけるのでしょう。
まだまだやりたい事がたくさんあるとおっしゃいます。年齢の割にと言っては失礼ですが、お話をしてても、偉ぶることは一切なく、とても謙虚です。太田さんの漆器の抑制的な形や塗りの程良い加減と、奥底にある芯の強さは、歩んで来られた人生とお人柄そのままだと思うのです。
今回お選び頂きました太田修嗣さんの漆器が皆様のお暮しの中であらたな物語が生まれることを祈っております。この度はありがとうございました。
【太田修嗣オンラインストア】
販売期間:5月19日(日)23時迄
太田修嗣展 確かなるもの
2024年5月11日(土)~18日(土)
ギャラリーうつわノート
埼玉県川越市小仙波町1-7-6
略歴
1949年 愛媛県松山市生まれ
1981年 鎌倉・呂修庵にて塗師の仕事を始める
1983年 村井養作氏に師事 蒔絵や変り塗りを学ぶ
1987年 神奈川県厚木市にて独立
1987年 ろくろ・指物・刳物一貫制作の工房を開く
1994年 愛媛県広田村(現・砥部町)に移転
2024年 現在 同地にて制作
by sora_hikari | 2024-05-18 17:00 | 太田修嗣2024