「安永頼山 展 古唐津再考」6日目-2


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写真は安永頼山さんが採取した砂岩と、それを使った唐津茶盌。外見的には堅い石のようですが、砂岩という名の通り、手で触るとぽろぽろを砂の粒子がこぼれ落ちます。これを細かく砕いて水簸し、沈殿した部分を胎土として使い、さらに水簸の上澄みを木灰と合わせて釉薬としています。「砂」ゆえに胎土は腰がなくろくろを挽くのが難しそうですが、安永さん曰く、思いの外、粘りがありろくろも挽き易く、さらに石ものゆえに焼き締まりも早く、短時間で焼成できるとても合理的な素材だと実感したそうです。

古唐津とは九州肥前地方で16世紀後半から17世紀半ば頃(室町末~江戸初)まで、約70年間(30年程度という説も有り)にわたって生産された唐津焼をとくに古唐津と称しています。同地域では中世末より日常雑器を量産していましたが、茶の湯が流行した桃山後期~江戸初期にかけて茶人に賞翫される茶道具が焼かれました。

昭和に入って焼き物産地で興った桃山陶の復元の流れの中で、一旦途絶えた古唐津焼きを中里無庵氏(12代中里太郎右衛門1895-1985)が取り組み、その再現を果たします。それ以来、唐津が再び焼き物産地として蘇り、唐津焼の作り手も増えて活況となりました。

しかし原材料に於いては未解明な部分がありました。古唐津は土ものではなく性質が違うのではないか。平成12年(2000年)に唐津砂岩説を「陶説」に寄稿したのは、唐津で土を扱っていた「伊陶屋」の須藤善光氏(故人)でした。また砂岩による古唐津を2001年に発表したのが櫨ノ谷窯の吉野魁氏(故人)と言われます。

さらに近年になって古唐津は「土もの」ではなく、砂岩や頁岩を使った「石もの」に近いと解明され(解釈には幅がありますが)、今現在、梶原靖元さんをはじめ古唐津に砂岩を用いる作家が増えています。

今回、安永頼山さんがあらためて取り組んだのが、この「砂岩」による唐津茶盌なのです。従来より積み上げてきたご自身の方法論とは異なり、材料造りや窯焚きから見直し、試行錯誤を重ねた結果が今回の古唐津をテーマに繋がっています。

陶芸家にとって古典に学ぶこと、写すことは奨励されることです。それは写経のごとく、形を写し取ると同時にその精神性を体現することでもあるでしょう。今回の仕事は安永さんにとって、あらためて楷書で書く正調な古唐津の解釈です。それは回り道でありながら、従来の茶盌をさらに飛躍させるために大切なことのように思います。古典は単に写すだけでなく、バッハを新解釈したグールドのようにその演者によってどう奏でられるか、その先にきっと意味があるのでしょう。

先日安永頼山さんが投稿された記事を下記に引用しておきます。

「今回のテーマに取り組む中で当時の陶工が何を考え何を思ったのか、そこに思いを馳せることが増えました。再現というアウトプットの過程を経る事で、鑑賞という行為だけでは深く汲み取れていなかった精神性の部分に触れた感覚を得た事は大きな収穫でした。精神性の理解は技術を読み解く上でも大事な鍵となるように思います。(安永頼山)」

【安永頼山展オンラインストア】
公開:10/29(日)23時まで

安永頼山 展 古唐津再考 
2023年10月21日(土)~28日(土) 会期中無休
11:00~18:00 最終日は17時迄
ギャラリーうつわノート 
埼玉県川越市小仙波町1-7-6

プロフィール
Raizan Yasunaga Profile
1970年 島根県益田市生まれ
2001年 田中佐次郎氏に師事
2003年 藤ノ木土平氏に師事
2008年 登り窯を築窯し独立
2013年 田中佐次郎氏命名の「頼山」に改名
2023年 現在、佐賀県唐津市北波多にて制作

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by sora_hikari | 2023-10-26 18:00 | 安永頼山展2023

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