2022年 10月 16日
「吉田佳道展 竹の構造美」ありがとうございました
「吉田佳道展 竹の構造美」は本日終了しました。ご来店下さいました方、ネットを通じてお選び頂けました方、皆様に心より御礼申し上げます。尚、オンラインストアは本日10/16の23時までご利用頂けますので、お見逃しの方はどうぞご覧ください
吉田佳道展オンラインストア
吉田佳道さんは大学卒業後、生花会社に勤め、ホテルの活け込みやパーティのアレンジなどを通して竹に出会いました。当時、大量に使われた竹が廃棄される様子を見て、それを何とか出来ないものかと思っていたそうです。意を決して会社を辞し、大分県別府市の訓練校に入所し基本的な技術を学びました。訓練校修了後は大分の竹工芸の師匠のもとで修業を積みますが、四年半の別府生活を離れ、縁のない安曇野市に居を移しました。竹工芸の盛んな別府での仕事の利点はたくさんありましたが、産地ゆえの流通の制約や製作の固定化から解放されたいとの思いもあったそうです。
別府で築いた取引先や材料調達の利便は失いますが、その頃から暮らしに向けた工芸の芽生え、「生活工芸」の黎明期に立ち会いました。職人的な竹工芸の世界から、より洗練されたクラフトの時代が始まります。その当時から拘ったのが、花籠づくりでした。中国から伝わった竹工芸がやがて日本独自開花を遂げ、その中でも花籠の存在は大きな分岐でもあります。茶の湯の世界に限らず、もっと暮らしの中でその美意識を定着させたいとの思いが吉田さんの中にあったのです。
民具として脈々と続いてきた竹細工ですが、芸術的な竹工芸家が登場するのは昭和に入ってからです。江戸後期から中国の煎茶趣味に応じた竹工芸が盛んになり多くの籠師を生み出します。しかしその頃はまだ唐物写しをベースとした職人的工芸でした。
明治に入るとその制約を超える作り手が登場します。早川尚古斎(1815-1897)や田辺竹雲斎初代(1887-1937)たちが唐物写しに工夫を加えて日本の竹工芸の黎明期を迎えます。大正末には工芸界に美術運動がおこり、昭和には芸術領域に達する作品を作る作家が登場します。それが飯塚琅玕斎(ろうかんさい1890-1958)、生野祥雲斎(しょううんさい1904- 1974)、田辺竹雲斎二代(ちくうんさい1910-2000)達です。唐物から脱却した日本独自の竹工芸の確立。目をみはる造形物としての竹工芸の世界。この領域の竹工芸は今の時代にも続いています。
吉田さんのこの花入れは立ち位置は美術工芸ではなく、かといって民具でもない。暮らしを軸にして美を引き寄せる仕事と言えばいいでしょうか。あくまで生活者目線の延長線上に竹の美を見ているのです。暮らしを軸にした工芸は今や一般化し、第二、第三のブームを迎えています。竹工芸の世界でもバックや物入れなど実用性と美しさを備えたかごブームが広がっています。吉田さんも時勢に合わせたかごは製作していますが、やはり拘るのは花籠の世界。美術工芸と暮らし工芸の間を繋ぐ領域にいます。工芸ブームの中にあって、ご自身の思いを崩さない、そんな矜持を吉田さんのお仕事には感じるのです。
これからもどうぞ吉田佳道さんのお仕事にご注目ください。この度はありがとうございました。
by sora_hikari | 2022-10-16 17:00 | 吉田佳道展2022