2022年 07月 25日
「沢田重治と外池素之展 常滑古今」開催のお知らせ
7月30日(土)から8月7日(日)まで開催する「沢田重治と外池素之展 常滑古今」のご案内です。
昭和時代を中心に大壷を作り続けた沢田重治さん(1906-1999)と、令和の新人・外池素之さん(1992-)の灰釉の器を対比させながら常滑焼の古今を伝える展示販売会です。
愛知県知多半島の常滑市は日本六古窯に数えられる歴史ある焼き物産地です。中世には大型の壷や甕が作られ、近代に入り産業向け窯業で潤いました。明治から昭和にかけて土管の需要が高まり、町のいたるところに立つ煙突から出る煙が空を覆っていたと言います。また常滑急須の量産化がおこり、いまだに常滑焼と言えば朱泥急須の産地として思い浮かべる人も多いでしょう。やがて時代とともにその役割も置き換わり、当時たくさんあった窯元も3分の1以下まで減り、窯業地としてひっそりとした感があります。現在は内外の陶芸家がここ常滑に集まり、個人単位で陶芸に取り組む新たな時代を迎えています。
沢田重治さんは明治39年に江戸時代から続く窯元の7代目としてこの地に生まれました。当時を知る人によれば親分肌で気前もよく明治の気骨を残す人物であったそうです。「生涯一陶工」を口癖に、流行にこびず、当時土管や建築陶器が主流である中、甕や壺などの大物を作り続けました。それらは「ヨリコ造り」と呼ばれる棒状の粘土を自らロクロのように回って粘土を積み上げていく技法です。1982年に常滑市の無形文化財保持者に認定され、その名は地元では知られているものの、今や全国区ではその知名度は乏しく、沢田さんの残した壷を見る機会はなかなかありません。
また今展のもう一人である外池素之さんは1992年生まれ。大学では地域政策学部を専攻し、江戸期の旅日記など古文書の研究をしていました。大学卒業後は新聞広告を扱う代理店に勤務しますが、全く肌に合わず、自己完結できる職を求めて常滑で陶芸を学びました。今は灰釉を主にした土味のある器や、釉薬を掛分けた変化のある器を手掛けています。発表の機会はまだ少なく、これからが楽しみな新人作家です。
沢田さんと外池さんの間には常滑という土地以外の縁はありませんが、外側から表現していく「壷」と、内側から見せる「食器」の対比が面白く、また何より常滑の古(いにしえ)の気骨ある仕事を振り返り、今生成されつつある常滑焼が交錯する稀有な企画にご注目頂ければと思います。
今回出品する沢田重治さんの壷や甕は、地元の方からのご厚意で特別に販売する機会を頂きました。価格づけも弊店に一任されていますので、常滑の巨匠とは言え、仰々しくなく皆様にお選び頂けることを念頭に置きご提供します。
今展を通して、沢田重治さんの功績を再認識するとともに、新たな時代を担う外池さんの仕事によってこれからの常滑の布石になることを願っております。暑い盛りの開催となりますが、どうぞこの貴重な企画展をご覧頂ければ幸いです。 店主敬白
沢田重治と外池素之展 常滑古今
Tokoname Past and Present
2022年7月30日(土)~ 8月7日(日)
作家在廊日 7月30日・31日(外池)
営業時間 11:00~18:00 最終日は17時まで
ギャラリーうつわノート 埼玉県川越市小仙波町1-7-6
沢田重治(さわだ・しげじ)略歴
1906年(明治39)江戸時代から続く窯元「丸四」の長男として常滑で生まれる。
1920年(大正9) 14歳で常滑高等小学校を卒業後、家業(製陶業)を継ぐ。
当時常滑で主流であった土管や建築陶器よりも江戸時代の伝統を引き継ぐ甕や壺などの大物造り一筋に作陶を続ける。
1969年(昭和44)60歳 長男に家業を譲り、より一層大物造りに専念する。
1979年(昭和54)70歳 伝統工芸士認定される。
1982年(昭和57)73歳 常滑市指定無形文化財保持者に認定される。
1986年(昭和61)77歳「勲七等青色桐葉章」を授与。
1999年(平成11)92歳 老衰により鬼籍に入る。
外池素之(トノイケモトユキ)略歴
1992年 愛知県大府市 生まれ
2014年 愛知大学 地域政策学部 卒業
2014年 広告代理店勤務
2019年 とこなめ陶の森 陶芸研究所 修了
2022年 常滑を拠点に製作活動
by sora_hikari | 2022-07-25 09:00 | 沢田重治・外池素之展