笠間陶芸大賞 終了

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茨城県陶芸美術館で開催されていた「笠間陶芸大賞展」が昨日(1/16)に終了しました。様々な試みと提言が成され、示唆に富む陶芸公募展だったと思います。末席ながら生活の器部門の審査に携わらせて頂いた者として金子賢治館長をはじめ、学芸員の皆様、美術館の関係者の皆様へ御礼を申し上げたいと思います。トリエンナーレとして今後も継続の可能性があると聞いております。次世代の方々への励みになることを祈っております。

「笠間陶芸大賞展」の図録に寄稿させて頂きましたコラムを記録としてこちらで紹介させて頂きます。

~審査にあたって~

さて「笠間陶芸大賞」の第二部が「生活の器」を表彰するという主旨でありますので、まずはその視点を考えました。従来の公募展が取り上げる美術寄りの工芸ではなく、生活寄りの工芸は昨今、大きな市場を作っており、多くの陶芸家が活躍しています。笠間という産地は、その動向を顕著に受けた作家を多く抱え、まさに「生活の器」を代表する産地と言えましょう。逆に言えば、笠間焼きという特定の様式はなく、時代に合わせて変化する揺れ動く産地とも言えます。このような環境下にある「笠間」がどう今の生活の器をどういう視点で表彰すればいいのか。とても重要なことだと思います。

しかし従来の公募の形式では、この実情を捉えることが出来ません。何故なら彼らは一般の顧客による評価が自分たちの経済を支える基盤であり、美術行政側の序列は、ほとんど作家活動に影響を与えないからです。端的に言えば、売上は変わらない。公募展に出すぐらいなら、毎日の仕事を優先した方が暮らし向きにも良いというのが実態だと思います。

例えばバイオリンのような技術、表現の粋を極める世界的コンクルールで競う芸術性が公募展に相応しいのは分かるものの、市井のポップスは時代ごとのヒットチャートがそれを映すのであって、コンクールではそれを評価することは出来ないのと同じなのです。ゆえに従来の「生活の器」を表彰しようとすると、集まってくる多くはアナクロな器であって、それは現状との乖離があるように見えていました。

今回採用された審査員による推薦による一次選抜は、従来の公募に比べ、画期的に時代の器を捉え易くなります。反面、流通側にいる審査員や現役の陶芸家による推薦は、営利や個人的な便宜が含まれる危険性があります。

本題に戻ります。私の見てきた「生活の器」は、暮らしの中で使って美しさを放つ器です。それは謙虚で滋味深く、そして技術もしっかりとしています。決して流行に頼った器ではありません。一見すると表現の誇張が薄いため地味に映るかもしれませんが、むしろ内側から滲み出してくるような美しさです。それは外形的ではなく、東洋的な精神的な美学に基づくものです。自然を支配する論理的な哲学ではなく、自然と調和する東洋的な思想であり、時に曖昧で抽象的で、内省的で儚くもあります。しかしその調和こそ、暮らしという人間尺度に添う器の在り方ではなかろうかと思っています。日本経済の成長が限界を迎えた1990年代に「生活の器」が広がりはじめたのは決して偶然ではありません。多くを持つことよりも、少なくとも持てる物を慈しみ、共有し合う精神の成長が、結果的に「うつわ」という媒体を通して顕れているように思っています。

さて、今回の選考結果を皆さんはどう思うでしょうか?面白いのは、こういう権威に常に逆らってきた小野哲平さんが大賞をとったことです。若い頃には器の値段を重さで決める展示をしたり、動物のためのエサ鉢展を企画したりと、価値が格付けされた器の在り方に問題提起をしてきた人物です。哲平さんの受賞は暮らしの器を見てきた側からすれば納得のいくことですが、公募という序列システムからすればシニカルな出来事と言えましょう。

今回の選考結果を見れば、ようやく生活の寄りのうつわを作ってきた役者たちが登壇したと思います。何より今まで交流すらなかった人たちがここで交錯した。生活のうつわが美術館にアーカイブされ歴史の1ページとなる。これが市場のすべてを代表しているかは分かりませんが、俯瞰してみれば大きな変化を捉えた画期的なことだと思います。

今やSNSの広がりにより、生活の器の裾野は益々拡大し、うつわブームの体を成しています。市場が大きくなり陶芸界が活況を呈するのは良いことでしょう。しかし一方で作り手と顧客が直接結びつくことで、それを客観的に評価する機能が失われています。そもそもそういう仲介者は必要なかったのかもしれません。ただ危惧されるのは、単なるブームとして短期間に消費されてしまうことです。この状況下に生活の器に於いても、陶芸としての骨格を求めて歴史や技術と接続する必要もあるのではないでしょうか。どういう方法がいいのか答えはありませんが、今回の「笠間陶芸大賞」の生活の器部門の評価システムの試みはひとつの冒険であると思います。

生物は多様性を受け入れることで進化してきました。陶芸界も硬直した現状を変えるためには、このような外部からの視点を受け入れて敢えてハレーションをおこすべきだと思うのです。しかし既得権益を有する側であるにも関わらず、このような危険をはらむシステムを自ら取り入れた茨城県陶芸美術館の金子館長はじめ学芸員の皆様の英断に感謝を記しておきたいと思います。

松本武明


by sora_hikari | 2022-01-17 10:51 | メディア掲載

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