2020年 03月 10日
「中田光 急須展 遇茶喫茶」4日目
「中田光 急須展 遇茶喫茶」を開催中です。
煎茶の歴史 基礎編
1)中国 唐代〜宋時代
1200年前の唐時代に飲茶が貴族や富裕層に広がる。この頃はまだ茶葉を粉末にしてお湯で飲むスタイル。宋時代には同じく粉末茶による点茶が流行する。これが日本に伝わる「茶の湯(抹茶)」の原形となる。
2)明時代
明王朝の初代皇帝が貢納品を固形茶から茶葉に切り替えたことで粉末茶スタイルが廃れる。茶葉を「煎じる」「淹れる」飲み方が明時代の終わり頃に日本に伝わる。
3)日本の煎茶の始まり
日本の煎茶の源流は中国華南地方の喫茶文化。煎茶道具はほぼ中国の文物で構成された。
煎茶の始まりは1654年に福建省から来た隠元禅師が伝えた中国明時代の喫茶法による。隠元禅師がもたらした茶道具に紫砂茶壺が京都の萬福寺に残っている。
17世紀に中国宜興窯で作られた茶壺(急須)による茶葉を使った飲み方が日本に伝わる。このようにして日本では伝統的な抹茶と新種の煎茶の新旧の茶文化が並びたった。
4)煎茶の広がり
日本で煎茶を広めたのは江戸中期の禅僧 売茶翁。61歳より京の街路で煎茶を売り、禅や茶の精神性を伝え同時代の文人に大きな影響を与えた。江戸後期には文人趣味として文化人に煎茶は広まり、京都や大阪から江戸でも人気に火がつく。
5)日本の煎茶器
煎茶文化の中心であった京都の陶工 青木木米や仁阿弥道八達が中心になり京焼の煎茶器の基本が作られた。「木米急須」は煎茶器のシンボルになる。この他、京都の陶工たちが中国煎茶器に基づく急須を文人や地方窯へ技術を広めた。京都に近い滋賀県湖東焼、愛知県常滑急須、三重県万古急須が産地として成長した。
6)近現代の煎茶の隆盛
明治時代を通じて文人趣味と煎茶は全国的に大流行するが、日露戦争、第一次世界大戦の勝利により中国大陸への進出を開始した頃から、その勢いに陰りが見えはじめる。昭和時代には日本の知識人を魅了した文人趣味と煎茶は急激に影が薄くなる。
その一方で、日本独自の伝統的な文化として、江戸時代後期にはほとんど忘れられていた桃山時代の美術・工芸と茶の湯が復権する。
中国文化への憧れを基調とした煎茶の人気が、その座を桃山時代の茶の湯の伝統に再び明け渡さざるをえなかった背景には、国威発揚する社会状況があった。
今は桃山や茶の湯は、煎茶に関する説明よりもはるかに力が入れられており、桃山時代から今日まで日本文化の基調となっていたかのように思われがちだが、文人文化の煎茶の存在をあらためて感じて欲しい。
以上はINAXライブミュージアムの「急須でお茶を」の森達也さんの講座の章を参考に引用・要約・改編しました。
お勧めです
急須でお茶を―宜興・常滑・急須めぐり (INAXミュージアムブック) https://www.amazon.co.jp/dp/4864809143/
煎茶の歴史 基礎編
1)中国 唐代〜宋時代
1200年前の唐時代に飲茶が貴族や富裕層に広がる。この頃はまだ茶葉を粉末にしてお湯で飲むスタイル。宋時代には同じく粉末茶による点茶が流行する。これが日本に伝わる「茶の湯(抹茶)」の原形となる。
2)明時代
明王朝の初代皇帝が貢納品を固形茶から茶葉に切り替えたことで粉末茶スタイルが廃れる。茶葉を「煎じる」「淹れる」飲み方が明時代の終わり頃に日本に伝わる。
3)日本の煎茶の始まり
日本の煎茶の源流は中国華南地方の喫茶文化。煎茶道具はほぼ中国の文物で構成された。
煎茶の始まりは1654年に福建省から来た隠元禅師が伝えた中国明時代の喫茶法による。隠元禅師がもたらした茶道具に紫砂茶壺が京都の萬福寺に残っている。
17世紀に中国宜興窯で作られた茶壺(急須)による茶葉を使った飲み方が日本に伝わる。このようにして日本では伝統的な抹茶と新種の煎茶の新旧の茶文化が並びたった。
4)煎茶の広がり
日本で煎茶を広めたのは江戸中期の禅僧 売茶翁。61歳より京の街路で煎茶を売り、禅や茶の精神性を伝え同時代の文人に大きな影響を与えた。江戸後期には文人趣味として文化人に煎茶は広まり、京都や大阪から江戸でも人気に火がつく。
5)日本の煎茶器
煎茶文化の中心であった京都の陶工 青木木米や仁阿弥道八達が中心になり京焼の煎茶器の基本が作られた。「木米急須」は煎茶器のシンボルになる。この他、京都の陶工たちが中国煎茶器に基づく急須を文人や地方窯へ技術を広めた。京都に近い滋賀県湖東焼、愛知県常滑急須、三重県万古急須が産地として成長した。
6)近現代の煎茶の隆盛
明治時代を通じて文人趣味と煎茶は全国的に大流行するが、日露戦争、第一次世界大戦の勝利により中国大陸への進出を開始した頃から、その勢いに陰りが見えはじめる。昭和時代には日本の知識人を魅了した文人趣味と煎茶は急激に影が薄くなる。
その一方で、日本独自の伝統的な文化として、江戸時代後期にはほとんど忘れられていた桃山時代の美術・工芸と茶の湯が復権する。
中国文化への憧れを基調とした煎茶の人気が、その座を桃山時代の茶の湯の伝統に再び明け渡さざるをえなかった背景には、国威発揚する社会状況があった。
今は桃山や茶の湯は、煎茶に関する説明よりもはるかに力が入れられており、桃山時代から今日まで日本文化の基調となっていたかのように思われがちだが、文人文化の煎茶の存在をあらためて感じて欲しい。
以上はINAXライブミュージアムの「急須でお茶を」の森達也さんの講座の章を参考に引用・要約・改編しました。
お勧めです
急須でお茶を―宜興・常滑・急須めぐり (INAXミュージアムブック) https://www.amazon.co.jp/dp/4864809143/
中田光 急須展 遇茶喫茶
2020年3月7日(土)~ 15日(日)
営業時間 11時~18時
最終日は17時迄
ギャラリーうつわノート
埼玉県川越市小仙波町1-7-6 地図
プロフィール
1983年 神奈川県生れ
2006年 武蔵野美術大学 デザイン情報学科卒
2008年 武蔵野美術大学大学院 陶磁専攻修了
2013年 群馬県桐生市に築窯
2020年 現在同地で製作
by sora_hikari | 2020-03-10 18:00 | 中田光展