「熊谷幸治展 土器と土師器」8日目

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熊谷幸治展 土器と土師器」の8日目が終了しました。会期は明日8月11日17時で終了します。午後(14時)から熊谷さんが再度在廊します。

本日ご紹介するのは、今展の副題になった「土師器(はじき)」。熊谷さんが新たに取り組んだ器です。ろくろの使用、焼成温度の高温化など、縄文や弥生土器よりも一歩進んだ土器に当たります。古墳時代から平安時代までに作られたもので、現代風に言うなら、素焼きの器です。

今展の土師器を一見すると、実に凡庸で、山茶碗のような体です。熊谷さんは、この土師器を作るにあたって、なるべく表現や個を入れずに、スピード感をもって身体性を生かしたと言います。小さなカップに至っては、ろくろはわずか3秒、大きなものでも10秒程度で行い、頭から意識を抜き、手だけの反復作業によって生まれる造形を心掛けたそうです。結果、運動体としての勢いが残る土師器が生まれました。

自己を滅却してモノの客観性を求めていく考え方自体は、従来より陶芸で多く援用され(こてこての茶碗であっても)、また昨今の器ブームに於いても個人表現を削ぎ落していく概念(しかっりと個人名を名乗っても)として乱用された意識です。

食器としてこれで十分、むしろ表現が邪魔をする。凡庸であること、ただモノとして存在すること。これは抑制的美学として、ここ十数年間、使われ続けた考え方であったと思います。弥生以降の土器、土師器さらにはかわらけなどは、まさにそういう側面があった訳で、その意識下にある造形を見立てた事が、今回の熊谷さんの土師器を成立させています。

しかし、この論を突き詰めていくと、個人が作家名を名乗りながら作る意味が失われていくことにもある訳で、思考と実体に矛盾が生まれることも確かです。つまり作家(職人ではなく)であるからゆえの相対的な言い分であり、作為を持った無作為を自覚してこそ意味が生まれるということも注意して見なければなりません。意図を抜いていく作業も、あくまで意識に基づいた「表現」であるということを留意する必要があるでしょう。そのうえで良い器になるかが肝心です。


熊谷幸治展 土器と土師器
2019年8月3日(土)~11日(日) 会期中無休
営業時間 11時~18時 ※最終日は17時迄
ギャラリーうつわノート(埼玉県川越市小仙波町1-7-6)地図

プロフィール
1978年  神奈川県生まれ
2003年  武蔵野美術大学工デ陶磁科卒業
2003年  土器作家として独立
2019年  現在、山梨県上野原市にて制作

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by sora_hikari | 2019-08-10 18:43 | 熊谷幸治展2019

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