「小野哲平展  衝動と暴力性」6日目-2

小野哲平展  衝動と暴力性」の6日目-2。

針金を巻かれた陶の塊。2017年の「塊は魂」展の作品を付加的に発展させた、いや封印したと捉えるべきか。粘土をえぐる行為と同じように、金属を強く巻く行為は快感であったと言います。これにも作者の身体的な衝動が強く顕れています。

さて、うつわという客観的役割を持つ作品と異なり、表現的造形物は私小説のように、自己体験を超えない危険性があります。用途から切り離されたゆえに、露わにされる造形物としての純粋性。そこには所有する側との主観的関係性(きゃっ!かわいいとか)とは別に、客観的なアート作品としての意図(何を伝えたいの?)が求められます。

さて、稚拙ながらも解釈を試みてみましょう。本来なら外に向かって放射するべき焼き物の表現を、針金でぐるぐる巻きに拘束することで見えないようにしています。焼き物でありながら、その存在を拒否するように。土を焼いて生まれる景色や質感という見所を敢えて覆い隠すことで、その存在価値を反転させる。中に何があるのか?アイロニカルな作品である訳です。多くの前衛陶が外形的にユニークな表現に終始するのに対して、その表現を「覆うこと」で気付かせる価値の転換。まるでクリスト作品のように日常的風景を「梱包」することで、あらためてそこにある存在を気付かせる。パラドキシカルな話法が仕込まれた挑戦的な作品なのです。

小野哲平さんのこの意識は、今回唐突に示された訳ではなく、独立当初より一貫しているのです。例えば1987年の「えさ鉢展」。動物を前にして人の決めた価値に意味があるのか、という疑義。あるいは作品の「はかり売り」。食器以上に茶碗や酒器につけられる価値に疑問を呈し、重さだけで価格を査定する、という問い掛け。

今回も同様に、独立当初の陶芸界に対するパンク精神に重なる価値の転換を試みていると言えるでしょう。しかし当時と大きく異なるのは、この行為が社会に向けられたものよりも、自分自身の固定化された「うつわ作家」というイメージへの反論、あるいは破壊であるのです。それは長年をかけて纏った衣服を脱ぎ棄てることであり、恥ずかしくそして勇気がいることなのです。

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小野哲平展  衝動と暴力性
2019年4月20日(土)-28日(日) 11時~18時 
ギャラリーうつわノート 埼玉県川越市小仙波町1-7-6 地図


小野哲平プロフィール
1958年 愛媛県松山市に生まれる
1978年 岡山県備前にて修業
1980年 沖縄県知花にて修業
1982年 常滑にて鯉江良二氏に弟子入り
1985年 愛知県常滑市にて独立
1998年 高知県谷相に移住
2019年 現在、同地にて作陶

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by sora_hikari | 2019-04-25 18:07 | 小野哲平展2019

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