「渡辺隆之展  土の声」ありがとうございました

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渡辺隆之展  土の声」は本日終了しました。会期中にご来店頂きました皆様に御礼申し上げます。

いつ頃からだったでしょうか。景色と同化するようなアートピースを作る人が現れたのは。それはオブジェといったアートの文脈よりも、工芸の延長線上、あるいは古道具のもつ佇まいや質感を纏った感情の籠らない「モノ」でした。それらは押し付けのない第三者的な視点を持ち、いわばサティやイーノの環境音楽のように、存在を主張しない存在として成立するのが特徴的でした。発表する場も美術館やアートギャラリーではなく、工芸系または古物店で、個人を対象とした所有物として扱われました。

記憶では陶芸の岩田圭介さんや木工の三谷龍二さんや四月の魚の関さんがこのようなモノを作り、さらに2005年頃には吉田次朗さんや大村剛さんのような若い世代が、理屈のない古道具的な「モノ」が一種の流行のように広がったのを覚えています。それから間もなく、西荻窪のブリキ星さんで森田春菜さん、渡辺遼さん、熊谷幸治さんの「モノ」もこれらの動きを顕在化する契機になったと思います。

もちろん作り手ごとに考えは異なりますから一概には語れませんが、俯瞰して見れば大きな時代の手のひらにのった出来ごとだったと思っています。その背景として考えられるのは、エコやロハスといった自然志向、あるいは中央管理型ネットワークから開放分散型ネットワークに移行した情報化社会、あるいは経済の破綻・鈍化による不確かな将来、もっと直接的には目白の坂田さんの扱うものと考え方、ジャンクや古道具ブームなどが影響しているように思います。

現在さらに多様化したこの動きを捉えて、モノ派との接続を試みたり、民藝思想と繋がる融通無碍や他力を引用したり、生活工芸の延長としてうつわの彫刻化という解釈が成されたり、実用に対して作用という括りでグループ化をしたり、様々な形でこれを意味づけようとする動きも見られます。一方でこれをアートの文脈で語ろうとした時、現代アートの土俵にのるにはコンセプトの強度が足りないと一蹴されることもあります。雑貨化するアートという見方もあるでしょう。

時代の気分と同調している間は説明はいらないかもしれません。解説することのカッコ悪さもあるでしょう。感じてもらえれば、いいのだと。実際にこれだけ作る人がいるということは、それを評価して購入する人も少なからずいるということです。しかし時代の現象として消費されずに、芸術として工芸として残すためには、その意味づけも必要になってくると思います。今、十分な答は見出せなくとも、それを探り意味づけを試みたいと思っています。

渡辺さんは稀有な表現者であると思っています。そして良い人たちに囲まれていると。この会期を通して教えられました。もっとその価値を時代と照らし合わせて考えたいと思います。

お持ち帰り頂きました「うつわ」や「造形物」が皆様のお気持ちを豊かにしますことを心より願っております。この度はありがとうございました。


これからの営業案内

うつわノート(埼玉県川越市小仙波町1-7-6)
10/29(月)~11/2(金) 搬出・設営休み
11/3(土)~11/11(日) 田中孝太 展
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by sora_hikari | 2018-10-28 17:37 | 渡辺隆之 展

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