2018年 07月 14日
「太田修嗣 展 漆器の木霊」 8日目
「太田修嗣 展 漆器の木霊」の8日目。会期は明日7月15日(日)で終了します。最終日は閉店時間を繰り上げて17時で終了させて頂きます。
太田さんのお住まい兼、工房は、愛媛県の砥部町にあります。砥部焼で有名な地域ですが、旧・広田村という焼き物産地からは離れた森林に囲まれた静かな場所です。
山沿いに建つゆえに、先日の豪雨によって母屋の隣にある資材置き場と車が土砂災害に遭いました。暫く仕事に影響が出るかと思いますが、一刻も早い復旧を祈っております。
1987年に東京・厚木市で独立、7年を経て、この地に移住したのが1994年。この周辺は林業は盛んなものの、特に漆器の産地ではありません。関東で経験した仕事をもとに、ひとりで今のスタイルを築いていきました。
引っ越した頃は、日本のバブル経済もはじけ、工芸も消費が一気に落ち込む時期だったそうです。奥様と四人のお子様。そのような転換期に、拠り所のない土地で仕事をするには、かなりの信念がなければ続けられなかったと思います。
太田さんとお話をすると、端々に木への強い敬愛を感じます。木そのものが好き。その思いから生れる器なのです。焼き物作家が原土にこだわるのと同じように、木から手掛ける太田さんならではのお仕事です。
表現的な江戸の漆器よりも、朴訥とした室町以前の寺院の漆器の方が好みだと言います。漆器の修行をしていた若かりし頃に住んだ北鎌倉のお寺に良く通ったそうです。古格ある漆器には仏の謙虚な美しさが備わっているものです。きっとその頃の原体験が、太田さんの謙譲の心を支えているのだと思います。
今年69歳。体躯もお気持も矍鑠(かくしゃく)とされており、まだまだやりたい事がたくさんあるとおっしゃいます。ご年齢の割にと言っては失礼ですが、偉ぶることは一切なく、とても謙虚です。太田さんの漆器の抑制的な形と奥底にある芯の強さは、歩んで来られた人生そのままだと思うのです。




太田さんのお住まい兼、工房は、愛媛県の砥部町にあります。砥部焼で有名な地域ですが、旧・広田村という焼き物産地からは離れた森林に囲まれた静かな場所です。
山沿いに建つゆえに、先日の豪雨によって母屋の隣にある資材置き場と車が土砂災害に遭いました。暫く仕事に影響が出るかと思いますが、一刻も早い復旧を祈っております。
1987年に東京・厚木市で独立、7年を経て、この地に移住したのが1994年。この周辺は林業は盛んなものの、特に漆器の産地ではありません。関東で経験した仕事をもとに、ひとりで今のスタイルを築いていきました。
引っ越した頃は、日本のバブル経済もはじけ、工芸も消費が一気に落ち込む時期だったそうです。奥様と四人のお子様。そのような転換期に、拠り所のない土地で仕事をするには、かなりの信念がなければ続けられなかったと思います。
太田さんとお話をすると、端々に木への強い敬愛を感じます。木そのものが好き。その思いから生れる器なのです。焼き物作家が原土にこだわるのと同じように、木から手掛ける太田さんならではのお仕事です。
表現的な江戸の漆器よりも、朴訥とした室町以前の寺院の漆器の方が好みだと言います。漆器の修行をしていた若かりし頃に住んだ北鎌倉のお寺に良く通ったそうです。古格ある漆器には仏の謙虚な美しさが備わっているものです。きっとその頃の原体験が、太田さんの謙譲の心を支えているのだと思います。
今年69歳。体躯もお気持も矍鑠(かくしゃく)とされており、まだまだやりたい事がたくさんあるとおっしゃいます。ご年齢の割にと言っては失礼ですが、偉ぶることは一切なく、とても謙虚です。太田さんの漆器の抑制的な形と奥底にある芯の強さは、歩んで来られた人生そのままだと思うのです。




太田修嗣 展 漆器の木霊
2018年7月7日(土)~15日(月) 会期中無休
営業時間 11時~18時
ギャラリーうつわノート 埼玉県川越市小仙波町1-7-6 地図
太田修嗣(おおたしゅうじ)プロフィール
1949年 愛媛県松山市生まれ
1981年 鎌倉・呂修庵にて塗師の仕事を始める
1983年 村井養作氏に師事 蒔絵および変り塗りを学ぶ
1987年 神奈川県厚木市にて独立
ろくろ・指物・刳物 一貫制作による木漆工房を開く
1994年 愛媛県広田村(現・砥部町)に移転
2018年 現在 同地にて制作
by sora_hikari | 2018-07-14 18:21 | 太田修嗣2018