2016年 07月 17日
「 佃 眞吾展 我谷木工・林竜人さんを偲ぶ 」 工人銘
「 佃 眞吾展 ~我谷木工・林竜人さんを偲ぶ~ 」は、明日7/18日(月・祝)で終了します。
佃さんの工房は、京都市の北西の山間部にあります。製作場、木材置き場に併設した部屋には佃さんが集めた骨董品や工芸誌がたくさんあり、仕事の滋養になっている様子が伺えます。
京都で木工職人を15年経験。職人仕事を始めた頃、自主的に通った「黒田乾吉木工塾」の教えが大きく佃さんの仕事へ影響しています。刳り物、塗り物の技術習得はもちろん、それ以上に民藝の知識や作る姿勢を学んだと言います。当時、そこには様々な木工家が集う梁山泊のようなところだったと聞きます。木工塾の壁に貼られていた、柳宗悦が物作りの精神を説いた「工人銘」には感動したそうです。「工人銘」の一部には、こう書かれています。
一.作をして美しきものたらしむべし されど美を工夫すべからず
一.用ゐられん為に作るべし
一.作る事に奉仕すべし
一.作る事と活きる事とを同一の意味たらしむべし
一.古作品を愛すべし 併しそこに死すべからず
一、無心は美の基礎なり
一、器を作るは自らを作る也
一.作は健全を旨とせよ
一.技巧に死すべからず
一.又知識に死すべからず
一.批評を恐るべからず されど自然には批評を求むべし
一.器を作る前に生活を作る様心がくべき也
(工人銘より一部抜粋 民藝181号 『柳宗悦の遺稿』より)
佃さんの仕事の基本には、こうした教えがあるのです。
※佃さんのご経歴を知るうえで、こちらのインタビューがよく出来ています。ぜひご一読ください。
工芸とアートのPanorama
佃さんの工房は、京都市の北西の山間部にあります。製作場、木材置き場に併設した部屋には佃さんが集めた骨董品や工芸誌がたくさんあり、仕事の滋養になっている様子が伺えます。
京都で木工職人を15年経験。職人仕事を始めた頃、自主的に通った「黒田乾吉木工塾」の教えが大きく佃さんの仕事へ影響しています。刳り物、塗り物の技術習得はもちろん、それ以上に民藝の知識や作る姿勢を学んだと言います。当時、そこには様々な木工家が集う梁山泊のようなところだったと聞きます。木工塾の壁に貼られていた、柳宗悦が物作りの精神を説いた「工人銘」には感動したそうです。「工人銘」の一部には、こう書かれています。
一.作をして美しきものたらしむべし されど美を工夫すべからず
一.用ゐられん為に作るべし
一.作る事に奉仕すべし
一.作る事と活きる事とを同一の意味たらしむべし
一.古作品を愛すべし 併しそこに死すべからず
一、無心は美の基礎なり
一、器を作るは自らを作る也
一.作は健全を旨とせよ
一.技巧に死すべからず
一.又知識に死すべからず
一.批評を恐るべからず されど自然には批評を求むべし
一.器を作る前に生活を作る様心がくべき也
(工人銘より一部抜粋 民藝181号 『柳宗悦の遺稿』より)
佃さんの仕事の基本には、こうした教えがあるのです。
※佃さんのご経歴を知るうえで、こちらのインタビューがよく出来ています。ぜひご一読ください。
工芸とアートのPanorama
佃 眞吾展 ~我谷木工・林竜人さんを偲ぶ~
2016年7月9日(土)~18日(月) 会期中無休
営業時間 11時~18時
ギャラリーうつわノート(埼玉県川越市) 地図
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佃 眞吾(つくだ・しんご) 経歴
1967年 滋賀県長浜市生まれ
1990年 京都にて家具職人として働く
1992年 職人の傍ら「黒田乾吉木工塾」に通い木漆一貫仕事を学ぶ
1995年 京都 井口木工所にて家具・指物職人として働く
2004年 京都市梅ヶ畑にて独立
2015年 現在、同地にて制作。国画会工芸部会員
林 竜人(はやし・たつんど) 経歴
昭和七年生れ 平成三年没
石川県大聖寺出身
by sora_hikari | 2016-07-17 19:54 | 佃眞吾展