「 森岡希世子展 光の呼吸 」 MF

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森岡希世子展 光の呼吸 」(6/6月迄)を開催中です。会期は残すところあと2日となりました。

森岡希世子さんの経歴はユニークです。

小学生から始めたサッカー。ボールを抱いて寝るほどサッカー好きの少女でした。そのままサッカー熱は続き、高校の時には静岡にサッカー留学するほどの本格派。時は、なでしこジャパンの前身となる女子サッカーチームが出来て間もない頃。インターハイ出場経験もある全日本の強化選手でした。その後、選手としてのサッカーからは離れるものの、今でも地元で週4日はサッカーを続けています。

サッカーから一時離れた10代後半には、東京で舞台の音響の仕事をしていた時期もありました。そして20歳になってデンマークに留学。Holbek美術国民学校で体験した「hygge(ヒュッケ)」と呼ばれる憩いの場で知った日常の中にある「生の時間」の大切さ、また授業で挽いたろくろが、陶芸の原体験となっています。

デンマークから帰国後、石川県立美術館の「板谷波山展」で見た轆轤師・現田市松氏の盃。その仕事に感動して、陶芸の道を選ぶことを決意、地元・九谷技術研修所に入りました。そこで基本的な陶芸の基礎を身につけ、卒業後は窯元で轆轤師として5年の修行を積みました。

その後、茨城県笠間市の造形作家・伊藤公象氏のアトリエ助手を3年間経験後、再び地元・石川県に戻り九谷技術者自立支援工房にて4年間職員として働きます。職員時代に、大学院の資格検定試験を通信教育で取得し、金沢美術工芸大学の博士課程に進みました。そして今春の3月に修了し現在に至ります。

作家活動は、九谷自立支援工房の職員時代の2009年から続けており、日本クラフト展大賞受賞をはじめ、数々の賞歴を持ち、2012年には九谷焼成形部門の伝統工芸士としても認定されています。

10代から社会人として経験したこの数々の経歴を華々しいと見るのか、紆余曲折と見るのかは、視点によって分かれると思いますが、森岡さんなりにその都度、確証のある選択だったのだろうと思います。

この経歴を俯瞰して見えてくるのは、その多くが人の下支えをする仕事だったことです。舞台の音響、轆轤師、造形作家助手、支援工房職員など、自らが表に立つよりは手助けすることに長い時間を費やしています。九谷焼を学びながら、絵付けの道は選ばず、ろくろ仕事を選んだのも、謙虚で本質的な形に意味を見出したからではないでしょうか。

サッカー選手のポジションは、中盤だそうです。それは攻撃と守備の両方に関わる役割。轆轤師や助手としての守備時代を経て、晴れて大学院を卒業した今、攻めの時代が始まります。数々の経験を積み重ねてきたからこそ出来る攻守バランスのとれた仕事。それが森岡さんの器の芯になっているのです。


森岡希世子展 ~光の呼吸~
2016年5月28日(土)~6月6日(月) 会期中無休
営業時間 11時~18時 
ギャラリーうつわノート(埼玉県川越市) 地図

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森岡希世子プロフィール
1974年 石川県金沢市生まれ
1994年 デンマーク王国 Holbek美術国民学校 留学
1999年 石川県立九谷技術研修所 修了
1999~2004年 石川県の窯元にてろくろ師として働く
2006~2009年 茨城県笠間市 伊藤アトリエ助手
2009~2013年 九谷技術者自立支援工房にて職員
2012年 伝統工芸士認定(九谷焼成形部門)
2016年 金沢美術工芸大学 美術工芸研究科 博士課程 修了


by sora_hikari | 2016-06-04 21:31 | 森岡希世子 展

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