「 光藤佐展 李朝の余韻 」 経歴

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  光藤さんの工房と住まい

光藤佐 展 李朝の余韻 」(12/9迄)の10日目。会期は明日までとなります。

さて光藤さんの器づくりの技術と感性はどこから来たのか。

1978年~1980年(16歳~18歳)
中学の頃にお茶を習っていたという早熟な文化的素養を背景に、卒業後、京都の職業訓練校に入り陶芸を学びます。30代の同級生もいたそうですから、学校の中では幼く見えた事でしょう。手に職を付ける事が目的の学校の故、作家性よりも職人としてのろくろ技術を中心に学びました。

1980年~1982年(18歳~20歳)
訓練校卒業後は、京都の窯元でろくろ師として働きます。湯呑みを1日に何百個もつくる日々。体に吸い込むように技術が身につきました。また仕事の傍ら、夜は定時制の高校に通っていました。

1982年~1986年(20歳~24歳)
夜間学校を修了してから、あらためて思います。職人仕事だけでなく、自分の表現もしてみたいと。若さ故の自己主張もあったでしょう。京都精華大学に入り、陶芸ではなく絵を学びました。

1986年~1989年(24歳~27歳)
大学を卒業してから再び陶芸の道に入ります。京都南禅寺にあった料亭の専用窯場で職人として働きます。料亭の料理に合わせた器。厨房の料理を見ながら、盛り映えのする器を日々考えていたそうです。その後、板前さんの出したお店で、料理人として手伝った時期もあるそうです。最後は揚げものまで行ったとか。今でも、すっぽんをおろせる腕前です。

1989年~2004年(27歳~42歳)
地元・兵庫県で意を決して独立。古い幼稚園の校舎を借りて築窯。基本は食器づくり。当時、安宅コレクションの影響もあって、粉引・刷毛目・三島手など李朝ものからスタートしました。

2004年~2014年現在(42歳~52歳)
同じ兵庫県の朝来市の山間に移り、工房と住居を新築。生活も落ち着いたこの頃から書や短歌を習い始めます。近年は穴窯を造り、薪窯焼成による器づくりに取り組んでいます。早い頃から飲酒に触れた事もあり、今はお酒は飲まない暮らし。毎日、4時半に起き10キロのジョギングを日課にしています。

移ろいゆく山の四季、川の流れを見ながら、年齢とともに感じる湛寂の境地。若い頃から身に付けたろくろの技術と、茶・料理・書・歌から学んだ人生の機微が、光藤さんの器の中で響き合うのは、こういう経験があるからでしょう。


光藤佐展  ~李朝の余韻~
2014 年11 月29 日(土)~ 12 月9 日(火) 会期中無休
営業時間 11時~18時
ギャラリーうつわノート (埼玉県川越市) 地図

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光藤佐(みつふじ・たすく)プロフィール
1962年 兵庫県宝塚市生まれ
1978年 中学を出て京都府立陶工職業訓練校で学ぶ
1980年 京都の窯元で職人として働く
1982年 京都精華大学美術学部に入り絵を描く
1986年 京都の料亭のお庭窯で職人として働く
1989年 兵庫県にて築窯し独立する
2014年 現在、兵庫県朝来市にて制作する


by sora_hikari | 2014-12-08 20:13 | 光藤佐 展

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