器考:ああ余剰

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世はお盆。人もまばらな日も良いものです。現在、常設展示期間となっております。

さて、うつわは必要か?

人の生命を司る「食べる」ための道具ですから、当然必要なもの。但し機能だけで見れば、古くは葉っぱでも良く、まあそこまで極端でなくとも現代はホームセンターなどで手に入る食器で十分でしょう。時にそちらの方が優れている場合もあります。しみづらく、重ね易く、手に入り易い。陶磁器の技術的進化の過程で見れば、焼締めや粉引などはむしろ退行した技法ですから、一概に手造りの器ばかりが優れているとは言えません。しかし大量生産された味気なさを除けばの話ではありますが。

では何故、作家ものの器、骨董の器、またはデザイナーの器を選ぶのか?または、選んで欲しいのか?お店側の目線ですから、ご判断はお任せしましょう。

今時分のうつわは、人を呼んでもてなす機会の減った現代の暮らしにおいては、自己顕示をする要素が希薄である分、それを使う人の気持ちの満足度という私的なウェイトが大きいと思います。また骨董的価値の高さや美術工芸的な秀逸さのあるうつわを所有しようとする特殊な層も、日本の経済状況に比例して大きくシュリンクしていることも事実でしょう。

うつわは見ても触っても、映画や遊戯施設のアトラクションのような過激な刺激はありません。何も語らないし、手に包んでも涙など流れてきませんが、確かに心に届く何かがあるように思います。これは知識だったり情報だったり、いろいろな経験の積み重ねから醸成されていくものです。親の世代から良いもの受け継いできたご家庭もあると思いますが、多くは後天的に得る感性ではないでしょうか。それは自分の目を開いてみないと、決して届くことのない、わずかな感性だと思います。とても微細な感覚。震災がおこれば、吹いて飛ぶような余剰なことかもしれません。

でもですよ。人はそういう微妙なはざまに喜怒哀楽を感じながら、生きざるを得ない存在なのではないでしょうか。決してうつわだけの事ではありません。いや器でなくてもいいのです。きっと人それぞれ、そういう無駄なことに意味を見出すことが大切なことのように思います。夕日を美しいと思う、花を愛でる、生きるだけの機能を求めるならいらない感性なのかもしれません。

器は、食を彩る文化とか料理の着物とか、言い方はいろいろありますが、突き詰めれば、用途を超えた「余剰」な部分にこそ、意味が隠されているように思います。暮らしの道具としての役割。向こう側にある味や会話。モノとしての所有感。精神的な充足。それは自分の内面を豊かにする、とても繊細なセンサーなのではないでしょうか。そういう関係性を養う力が、作家などの手造りの器にあるのではないでしょうか。そんなうつわの「余情」を楽しむことが出来る人が増えれば素敵なことだと思います。

但し、度を過ぎないことが大切ですが、、、。個人の経験として。

写真は、現在展示中の田村文宏さんの灰粉引の汲み出し。2,000円(税別)。本文とは特に関係ありません。


営業カレンダー
8/15(金)~19(火) 常設展示
8/20(水)~29(金) 夏期休業
8/30(土)~9/2(火) 常設展示
9/3(水)、4(木) 定休日
9/5(金)~9(火) 常設展示
9/10(水)~12(金) 定休日および設営日
9/13(土)~23(火・祝日) 小嶋亜創展 ※会期中無休

ギャラリーうつわノート
埼玉県川越市小仙波町1-7-6
営業時間/11:00~18:00
地図


by sora_hikari | 2014-08-18 01:04 | 器考

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