2013年 01月 11日
器考:普段使いの器

常設展示品:増田勉 粉引碗 2,310円
普段使いのうつわとは、文字通り日常の生活で使う器のこと。なぜ当たり前のことなのに「普段」と称するのか。それは、美術的で鑑賞性の先立つ器が相対としてあるからです。さほど昔でない頃、陶芸家の作る器はむしろ「普段」とは離れたところで志向されていました。陶芸家が作る器は、茶の湯やハレの場の器が主であり、作品的価値が先にありました。日常の食器を「雑器」と呼んでいた時代は、そういった「作品」的な焼き物と区別するためでした。明治維新以降に美術と工芸は分離し、西洋的な美術観が主流になりました。産業的な位置に退いた工芸を芸術まで高めようと「陶芸」とういう言葉が生まれたのは昭和初期のことです。大正から昭和にかけて桃山陶の復興を目指し、多くの巨匠が輩出され、日本の焼き物のルネッサンスが起こりました。それが教養主義的なやきもの熱を引き起こしていきます。そういう状況は昭和後期まで形を変えながら続きました。それを支えたのは一部のハイソサエティ層で、焼き物を知ること、持つことは社会的ステイタスでした。しかし1980年代後半から90年代前半に起きた高度成長の破綻にはじまり、従来の焼き物への購買力が著しく低下し始めます。経済的に弱体化した陶芸の世界は、より日常に繋がる器づくりという価値観にシフトしていきます。当時、陶芸の価値評価に違和感を持っていた作り手達による「普段の生活」の中で美しい器づくりが顕著になりはじめるのは、90年代後半からです。器の「美」の在り方の変化は、意識の改革と同時に経済的合理性にも深く関係しています。それに合わせるように、流通の中心もアカデミックな場から、より直接的でフラットな場にシフトしていきます。「作品美」から「道具美」への価値の転換です。現在のような個人名の作り手による「普段使い」の器の広がりは、日本工芸がいまだかつて経験したことのないパラダイムシフトです。これは良い面もあり、またそうでない面もあります。権威から解放された自由な器は、誰もが手にし、自分の尺度で評価できる健全な世界です。一方、陶芸が辿った歴史や技術の毀損は、器の価値の表層化を招き兼ねません。かつて時代へのカウンターとして意図された「普段使い=生活の中の美」が、その起点を見失う事で、本来の意味が形骸化することにも繋がります。「普段使いのうつわ」の時代だからこそ、あらためて根っこにある「美」の在り方をどのように問うのか、作り手も伝え手も考えていかなければと思います。(本文と写真には関連はありません)
営業のご案内
1月11日(金)~15日(火) 常設展示
1月16日(水)~18日(金) 定休及び搬入休
1月19日(土)~29日(火) 大治将典展 ※会期中無休
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ギャラリー うつわノート
〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1-7-6 (地図)
営業時間: 11:00~18:00
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by sora_hikari | 2013-01-11 17:40 | 器考