野口悦士展 ~種子島より~ 終了しました

5月12日より開催しておりました野口悦士さんの個展が本日終了しました。会期中は天候不順な日もあった中、多くの皆様にお越し頂き、作家共々、心より感謝申し上げます。今回ご来店の方々が一様に感心されたのは、実際に器を手に触れて、手取りが軽く使い易そうだというご意見でした。野口さんのご自宅から持ってきて頂いた5年ほど使い込んだ器を触って、あらためて焼〆の経年変化で生まれる深みのある色合いや滑らかさに魅力を感じた方も多くいらっしゃいました。持ち帰ったらすぐに使ってみたいと、実感のこもった評価が得られたのは、何よりの喜びでした。飾る器よりも、日々使ってもらえる器づくりに臨む野口さんの想いが届いた展示会になったと思います。野口さんの経歴を見ると、中里隆さんに師事し、種子島焼を継ぐ正当派の陶芸家というイメージがあります。しかし決して順風満帆に事が進んだ訳ではありません。SFC卒業という経歴からすれば異色の道とも言えます。野口さんの卒業年度であれば、むしろIT系分野の受け入れ口も多かった時期だと思います。デジタル、ITの世界が華やかになりはじめた頃に、逆行するようにフィジカルな陶芸の世界にのめり込んでいったのは、逆説的に今の時代を表しているように思います。種子島に渡り、実際に中里さんの指導を受けたのは、移住して6年を経てから。それも唐津に住み込み、何年も修行を積んだ師弟関係という経緯ではありません。むしろ大半は、種子島で一人で積み上げてきた時間が長かったようです。野口さんが種子島を訪れた頃の窯場は、観光向けの陶芸を軸とし、衰退する地場産業の渦中にありました。昭和中期に興った全国の陶芸産地の民芸ブームは落ち着き、90年代にはバブル経済の破綻に喘ぐなか、すっかり陶芸を取り巻く環境は変化していました。陶芸の経験もないまま、そういう環境で薪割りの手伝いから土づくり、ろくろ、窯焚きを覚え、基礎を重ねる内に、やがて疑問を抱きはじめます。何故、地元の良質な土と窯で、もっと深みのあるヤキモノが作れないのか。観光向けだけではなく、より魅力のある器を作りたいと。そこから野口さんの試行錯誤がはじまります。一番こだわったのは、薪窯の焚き方。繰り返し検証するには、元々あった11メートルもの蛇窯では大き過ぎ、そのために自作の窯作りからスタートします。その窯で月に3回の焼成を繰り返し、自分なりの経験を重ねていきます。やがては、2つの焚口と煙突を持つ独自の窯を開発し、今はその窯による焼成を中心にしています。大きな窯よりも、一人でハンドリング出来、かつ薪焼成の魅力を失わないという命題に対しての答えでした。その長年の研究・実践の間は、作った器を販売する先も少なく、ひたすら孤独な闘いであったと聞きます。どこを目指すのか。観光向けだけでは得られないヤキモノとしての基準。それこそが、中里隆さんの存在であったのでしょうし、ご自身の経験で得た手と眼の積み重ねだと思います。陶芸を取り巻く流通、顧客の変化、それに対応しながら良い器づくりを志す。経済的合理性と、造形的探究心とのバランス。自活し作り続けていくには、とても大切なことだと思います。地元観光での消費だけでなく、より大きな経済圏で通用する器づくり。野口さんは、今まさに新たな「種子島焼」の在り方を、より広いフィールドで問いかけ始めたのだと思います。本展の立会いが終わって、早速、薪割り、土づくりをされているようです。その野口さんのブログに今後の展示会のご予定も掲載されています。どうぞこれからも多くの方々が野口さんの器に触れる機会があればと願っております。これから、益々のご活躍が楽しみです。

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by sora_hikari | 2012-05-22 22:17 | 野口悦士2012

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