15と8 展 @ さる山

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元麻布のさる山で開催されている「15と8展」に行ってきました。「15と8」とは、15種類の新作の金属カトラリーと、それに合わせた8名の作家の器の展示会を表しています。まず注目すべきは、何といっても、新作のカトラリー。さる山のご店主である猿山修さんがデザイン、仕上げや加工を竹俣勇壱さん、製造を新潟県燕市の田三金属の3者で作ったシリーズ。それぞれのイニシャルを合わせて「ryo」シリーズと呼ぶカトラリーです。従来よりデザートスプーンとフォークは発表されていましたが、今回はそれ含んで、全15種まで一挙に拡大して新登場というのが、本展の一番の肝になります。17~18世紀ぐらいの古い欧州の銀食器に見られるようなしっかりした形状。西洋の食卓で多様に分化した目的別のカトラリー。魚用、デザート用、バター用、サーバー用など、カトラリーに見られる西洋文化の深みを感じることができます。今回の新作は、実用と製造を考慮したステンレス製。仕上げは古色の仕上げと、鏡面仕上げの二種類が揃っています。このカトラリーの発表に合わせて、脇を固めるのが豪華8名の作家。カトラリーをイメージした器を併せて展示しています。各家庭に既にあるベーシックなフォークやスプーンに加えて、用途の広がるカトラリーを加えるのも楽しいです。アンティークのカトラリーも良いですが、時代によっては鉛の含有の心配もあるので、この「ryo」ならその風合いを活かしたまま、食卓で安心して使えるのも嬉しいです。本展では、これらのカトラリーを選んで購入する事も可能です。また、幅広く取り扱い先も広げていく方針との事ですから、仕入れ販売の相談も気軽に受け付けてくれるそうです。カトラリーとあなどる事なかれ。さる山さんの大きなチャレンジ、意欲作に触れられて、心躍る体験になりました。


15と8 展
2013年10月19日~27日(日) 会期中無休
13:00-18:00
さる山 (東京・元麻布) ホームページ

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※本展向けの文章も秀逸です(「15と8展」のDMより転載)

「カトラリーの快楽」
ひとが一貫して持ち続ける欲求の最たるものは食べることではないか。日々他の生命を頂くことでそれを自らの一部とし、私たちは保たれている。食べなくては生きられないこのどうしようもない弱さを、楽しむことで強さに変えようとしてきた。知恵を総動員し工夫を凝らし、世界中に幾千の料理を生み出した。そして楽しむことは料理そのものの探求にとどまらず、食卓における道具にまで広く及ぶことになる。何を食べるかだけでは料理の味は完成しない。どう食べるかもまた重要である。使う道具は料理の味を大きく左右する。手に持ち口へ運ぶ道具と器を日本と西洋とで比較すると、関係性が対角線上に浮かび上がる。日本の箸は一度の食事で大抵同じものを使うが、代わりに形や大きさ、素材もさまざまな器をいくつも並べることが珍しくない。最も適した料理と器がそれぞれ取り合わされる。これに対応するかのように、西洋の器は多少の形や大きさの違いはあれど磁器の皿が中心となり、ボウル等を加えても極限られるが、カトラリーの種類は幅広く豊富である。ナイフやフォーク、スプーンが料理によって選ばれ組み合わされ、用途を細かく与えられている。日本の箸と西洋の器は全く違う役割を持ちながら、万能という点で一致している。万能のよさを実感しながら、しかしひとは使い分ける楽しみを忘れはしない。器と築いた親しい関係をあらためてカトラリーともはじめてみたい。例えば、焼かれた肉をフォークで刺すとき、こんがりとした香ばしさをその表面のかたさによって想像する。フィッシュナイフで魚をほぐすとき、ふわりとやわらかな食感を先取りしている。スープにポタージュスプーンをゆっくり沈め、すくいあげた複雑な香りにどんな味かと気がはやる。バターナイフでバターを切り分ければその厚みでミルクの濃厚さをひとあし先に味わい、バタースプレッダーをパンの上に滑らせればバターのなめらかさにとろけそうになる。ケーキスプーンでキャラメルの薄い膜をそっと壊したなら、パリッと聞こえる音にほろ苦さと甘さを交互に連想する。料理を口に含みおいしさがやってくるその前に、テーブルから口までのつかの間に、カトラリーを実際に使うことでしか味わい尽くせない魅力を五感で堪能する。視覚的なうつくしさにはじまり使うこと自体を楽しむとき、そこにはおいしい予感が満ちてきて期待が呼びよせられ、最後は舌で感じるおいしさをきっと増幅している。ひとが宿命的に抱えることになった欲求と、それを精一杯楽しむことを選んだ能動的な振る舞い。その両方こそがカトラリーの源である。おいしく食べることの快楽へと私たちを導き、使うこと自体にもまた快楽が潜んでいることをカトラリーは教えてくれる。
※文章は、山本千夏さん


by sora_hikari | 2013-10-25 23:59 | 見て歩き

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