坂田和實の40年 @ 松濤美術館

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渋谷の松濤美術館で始まった「古道具、その行き先 坂田和實の40年」展を見てきました。これは、目白で40年に渡って古道具店を営む坂田さんの展示会です。古道具・坂田と言えば、骨董や美術品の本流とは違った独自の視点で本来価値づけされていなかった品々に美しさを見出したお店として知られています。それは千利休が魚篭を花入れとして見立てたように、また柳宗悦が、朝鮮白磁や日本の民具の美しさを見出したのと同じように、現代の「美」の発見者として坂田さんを例える事もあるようです。本展は、そんな坂田さんがかつて取り扱った古物134点を一堂に展覧できる貴重な機会です。陳列された品々は、「ひとりよがりのものさし」や「大和プレスビューイングルーム」展の図録にも掲載された様々なモノを見ることが出来ます。その中には、坂田さんの見立て品の代表でもある「雑巾」、「珈琲の布フィルター」、「パリの螺旋階段の手摺」、「うなぎ取りの道具」、「デルフトの無地皿」、「おじいちゃんの封筒」なども含まれています。従来、美術や骨董の世界では振り向きもされなかったものばかりですが、そこには生活の中で使われ、やがてその役割を失ったが故に無垢な美を宿した謙虚な道具が取り上げられています。それらは、いずれも仰々しさはなく、作為の抜け落ちた静かな佇まいをしています。近世においての美術は、どちらかと言えば、ルネッサンス以降の人間賛歌であり、自己表現を主体としたものであったと思います。また骨董の世界は、時代背景やモノの謂れ、技巧、希少性など肩書に基づいた定型的な評価基準が大切だったように思います。しかし、坂田さんの見出す美しさは、そういう基準には依存しない、もっと人為を超えた第三の力によって生まれた無垢なところに目が向けられているように思います。例えば、中世の「神」と「人」の関係において絶対的な存在に対して自己を抑制して敬虔に作られた立像。例えば、使い古されて何度も補修されたボロボロの雑巾。例えば95歳にもなるお年寄りがひたすら作った誰に見せるでもない封筒。そういったモノに表れる無心の美が、坂田さんの選ぶものから一貫して感じられます。それは決してその背景にいる人物や物語に対する郷愁やヒューマニズムとは違った、もっと冷静で静かな眼です。ただそこにあるもの。今の時代にモノづくりをする人にとって、坂田さんの提示する、この「美」の在り方は、ひとつの問いかけであり、揺さぶりでもあろうと思います。ポジティブであれ、ネガティブであれ、この投げかけれた美を自分自身で確認することは、とても大切なことだと思います。


古道具、その行き先 坂田和實の40年
2012年10月3日(水)~11月25日(日)
10:00~18:00 (金曜は20:00まで)
月曜日定休 (但し10/8は開館、9日は休み)
入館料:一般300円
渋谷区立 松濤美術館(東京・渋谷) ホームページ

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by sora_hikari | 2012-10-04 00:49 | 見て歩き

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